舟で魚を捕りながら犬のチャボと一人暮らす老人バーブル。
今日は魚がまるで掛からんなあと思った矢先、雨がシタシタと降り始めた。
やれやれと思いながらふと少し下流のほうを見渡すと、雲が無いではないではないか。
舟の上ではいつも居心地が悪そうにしているチャボもなぜか今日はおとなしい。
バーブルは少し川を下ることにした。
そこでも網を投げたが魚は掛からない。また雨が降り始めた。
「もう少し下流に行けば雲がなさそうだ。」
バーブルはさらに川を下ることにした。
そこでしばらく漁をしていると、手の平に乗るくらいのピンク色の魚がとれた。
「これはこの辺の魚ではないな。一体なんという種類じゃったか、
どこかで見たような。わしも耄碌したろう?」
チャボにそう問いかけながら、バーブルの頭を久しぶりに小さな好奇心がよぎり、
いけすの中にその魚をいれた。
思えばもう何十年も同じ土地で暮らしている。
朝起きて小さい舟で魚を捕り、昼は畑を耕し、
夜は酒を飲みながら本を読んで眠りにつく。
いけすの中ではねまわるピンクの魚を観ながら、
バーブルはある決意をした。
「よし海まで下ってみよう。」 
海まで何日かかるだろうか。
すこしワクワクしながら夕日の映る川を下るのだった。

 翌日の夕方舟を寄せた村は、自分がいつも暮らしている場所より少しばかり賑わっていた。
初老の三人の男性が晩飯前にサイコロを振って遊んでいる。
通り過ぎようかと思ったがチャボがそこから離れようとしない。
「おいそこの人。」
一人足りないからと声を掛けられ、
バーブルは渋々その賭けの席に加わる事にした。
久しぶりに楽しかった。
そこで遊んでいるうちにバーブルは自分にも仲間とこんな風に過ごした時期があったように思い出した。
日が沈みかけて晩飯どきになり解散することになったが、
遊んでいたうちの一人が舟に戻るバーブルをじっと見つめていた。

 夜の河を進んでいたバーブル。
河と同じように頭にもモヤがかかっていたが、それが吹き飛ぶと叫んだ。
「ああ!あいつらだ!!」
賭け事をして遊んだあの三人は自分のかつての親友ではないか。
みんな死んでわし独りになったと思ったが。
「暑さにやられて夢でも見たんじゃろう。」
チャボに語りかけるバーブルは、目を少し光らせながら懐かしさに浸るのであった。
そういえばピンクの魚の名前を聞きそびれた。

 次の日は雲ひとつ無く太陽が照らしていた。
昼時に舟を止めてまたある村をブラブラ歩いていると、
チャボが吼えながら一直線に走る。
バーブルも仕方なく後を追った。
その村は他の部族に襲われて女子供の悲鳴で溢れているが、
男達はみな漁に出ていて誰もいないようだ。
子供を背負った女が他部族の男に追われている。
「どうせ余命いくばくもないわい!」
バーブルは村を襲う男に棒でなぐりかかるが、
逆に棍棒で頭を殴られ気絶してしまう。
 夜に目が覚めるとそこには心配そうな目で見つめるチャボがいた。
あたりには誰もおらず男は唖然としながらまた自分の舟に乗りこみ川を下る。
バーブルの目に涙が溢れた。「あの女はわしの妻だった。あの子供はわしの子だった。」
バーブルは思い出した。
あの日漁なんかに行かなければ。

 バーブルはまた河を下るのだった。
「今のわしには何もないのだ。なにも無くなってしまったのだ。」
隣でチャボがまた悲しそうに見ている。
「お前がいたな。とにかくピンクの魚の名前でも探そう。」
いけすの魚を見るといつの間にかかなりの大きさになっていた。

 またその翌日のお昼前、
バーブルはある町に舟を停めた。
その町の木の影で休んでいると、一人の見覚えのある女性が通りかかった。
バーブルは半ば反射的に声を掛けた。
「やあ!」
いきなり喋りかけられたにも関わらず、女性は笑顔だった。
「何?おじいさん」
振り向いたその顔にバーブルは言葉が出なかった。
女性は笑顔で少し茶化すような口調で続けた。
「もしかしておじいさんは占い師かしら?ねえ私幸せになれそう?」
バーブルは言葉に詰まったがこういった「なれるよ。きっと。」 
女性はまた笑顔で答えた。
「きっとって、おかしな人ね。そうよね。よかった。
じゃあ、わたしこれから人と会う約束があるから。」
女性は上機嫌で去っていった。
「待ってくれ!あなたに話さなければならないことがあるんだ!」
バーブルは叫んだが女性の姿はもう見えなくなっていた。
バーブルの目から涙があふれた。その人に会うのはずいぶん久しぶりだった。

 また次の日の朝早く舟を停めた町は活気があってとても賑わっていた。
河辺で小さな男の子を連れた漁師に人にピンクの魚の名前を聞くと、
これは海にいく魚でアメマスというらしいが、こんなに色がついているのは見たことないという。
「川の上流のほうは今どんな調子だい?」その漁師は話を続けた。
「私の村は人も減って賑わいもないねえ。」バーブルは答えた。
すると漁師は少し悲しそうな表情をし、これから家で朝飯なので一緒に食べないかとさそった。
「ではせっかくなのでこの魚を。」バーブルはいけすからピンクの魚を取り出そうとすると、
「こんな綺麗な魚は食べないほうがいい。海で放してやりなさい。」
と、その漁師は説教くさく言った。
バーブルが漁師の男の家に行くと男の妻が朝早くからお客さんなんて困るといいながらも料理をもてなしてくれた。四人でテーブルを囲みながらしばらくお互いの身の上などを話していたが、
男は急にバーブルの目を見つめながら重たい表情で言った。
「俺はこの子が幸せになるように毎日願って生きている。本当にそれだけなんだよ。」
男は続けた。
「ここはお前のいる場所ではないようだ。もうすこし川を下りなさい。」

 バーブルは舟にのりながら思った。「わしはどこへ向かっているのだろう。」
河口付近にくると辺りがとても眩しくなりチャボが吠えだした。
ピンクの魚はいけすから飛び出して泳いでいってしまった。
そして光の中から声が聞こえる。
「ようこそバーブル。」
「誰だあんたは?」バーブルは言った。
「私は海を支配するもの。すべての生命の源です。あなたを迎えにきました。」 
「わしを迎えに?こんな役にたたん老人をどうするつもりだ。」 
「あなたの魂はこれから溶けて海に帰るのです。海で生命の水の一部になります。」
「生命の水?それからどうなるんじゃ?」
「どうなるって、おかしな人ね。生命の水っていうのは時間の概念がないの。どうなるってことではなくて、あなたはこれからこの世界の始まりから終わりまでの生命の水になるの。海で過ごしたり、陸地に雨として降り注いだり。」
「そうかそれが死ぬということなのだな。」
バーブルは舟をいったん寄せ、
チャボを陸地におろし最後のお別れをした。
「さあ準備はできたぞ。」
そのときバーブルにある考えが浮かんだ。
「あんた生命の水には時間の概念がないといったな。」
「そうです。大昔の水も遠い未来の水もみんな意識で一つに繋がっています。」
バーブルは最後の力を振りしぼって叫んだ。
「ならわしは雨になりたい。雨として降りそそぐ時を選ばせてくれ!」 
「おかしな人ね。そろそろ行きますよ」 
そしてバーブルの魂は海に溶けていった。


 ある日若い漁師のバーブルが外に出ると、
さっきまで雲ひとつなかったはずが、急に雨が降り始め頬をつたった。
「今日は漁はだめだな。家でゆっくり過ごすとするか。」